2023.1.24

ここ最近、 混沌としたことをぐるぐると考えて落ち込んでいて、わーって気持ちで悶えていたのが、そこにあるものが急に寂しさとしての様相を呈して、隠されていたものが姿を現したのか、変化したのかわからないけれど、でも気づいたらそこにいて、またお前かー!の気持ちになったので書き留めておく。そういえば、前にもすごく寂しくてそのことを書いて、寂しさが少しでも小さくなるといいですねって言ってくれた人がいて嬉しかった。この場所のことも最早忘れていたくらいに大丈夫な毎日を1年ぐらいは送ることが出来た。

一年ちょっと前に書いた文章を読み返してみると同じところをぐるぐるしているってことに落胆する気持ちもあるけど、よく見知った場所でもあるのでこの場所に来ればきっと大丈夫だって思えている自分がいて、不思議な気持ち。ついこの前までいた場所に比べると、もちろん寂しくてしんどい気持ちもあるけど、でもぬるま湯につかっているみたい。
 
年始にミン・ジン・リーの『パチンコ』を読んで、人生というものが本質的にこんなにもつらいのだとしたら、なんのために生きているのか、なんで人は生きようと思えるのかがわからなくなってしまって絶望的な気持ちになっていた。つらい時が圧倒的に多いとしても幸福な時間があるから、少しでもよりよい未来をつくるため、自分ではない誰かのため、生まれてきてしまったから、みたいなことはわかっていて、わかっていてなお、なぜ?の気持ちに囚われていた。
普段は生まれてきてしまったから、未来に生きる人たちのために少しでもよい社会にしたいって思っているけれど、それと同時になぜ人は生きなければいけないのかみたいなことを地球とか宇宙とかの規模で悶々と考えるとすると人間なんていない方がいいんじゃないかみたいなところに行きつくことがままあり、そうすると全ての足場が崩れていく。そういう恐らくは考えても答えの出ない問題を考えずにいられなくなって、そこから抜け出せなくなり服薬もはじめてしまったので頭が朦朧とする日々だった。
 
どうしたらいいんだと藻掻いて、久しぶりに宮野真生子さんと磯野真穂さんの『急に具合が悪くなる』を読んで磯野さんの豪速球メッセージに泣きじゃくったり、宮地尚子さんの『傷を愛せるか』をお守りみたいに持ち歩いていた。岩川ありささんの『物語とトラウマ』に出てきた、李琴峰さんの『独り舞』も読んでしまってたぶんこれはよくなかった。よい作品だったのだけれど、タイミングが難しい。
去年何冊も読んだオープンダイアローグについての本をもう一度読み返したくて森川すいめいさんの『感じるオープンダイアローグ』も読み返している。一応ネットにあげるつもりでこの日記を書いているのもこれを読んでいるからなんだろうな。誰に話したらいいかわからないけれど、だれかに聞いてほしい気持ちもあって、オープンダイアローグの事例を読んでいると何よりもこの社会で対話がおろそかにされていることを感じるので、そこを打ち破りたくての実践。そこにだれもいなくてもいいけど、どこかに向かって送り出してみる。
そんな文章だし、自分の好きなように気のままに書いているけれど、それでも書くこと、書かないことの他に書けないこともある。その書けないこと、自分の外に出すことが怖い感情とか思考を出来るだけ小さくしていきたい。本当はカウンセリングにも行きたいけど、どこにいけばいいのかわからない。ずっと行きたいと思っているので、もう少し探してみたい。
 
誰かと親密な関係を作るのが難しくて、それでももし誰かのために生きるみたいなことが出来たら、こんなことを考えなくてよくて、ちょっとは楽になれるんじゃないのかなみたいなことを希望的観測で考えて、まあそちらはそちらでしんどいことはあるのは分かってるけど、でもそんなことを考えてもどうせそちらにはいくことは無理なんだろうからしょうがない。っていうのをぐるぐるしていたところから、これって結局寂しいってことか!ってぽんって抜け出して、ああこの場所は知っている!いつもの場所だ!って思ったら今まで考えていた絶望的な気持ちがどこかに行ってしまった。
文字にするとなんでこんなことでそんな絶望的な気持ちになっていたのだろうって自分でも思うけど、渦中にいると希死念慮から逃れられなくなってしまう。まあ、それでもなんとかやり過ごせるようになったことに成長を感じる。あと今回は毎日、日記もつけていてそれもよかったなって思う。
 
今回はこんな思考の中にいるのと物語ることの重要性を意識する時間が重なったので、どんな物語があったら自分にとって救いになるかと考えて、ちゃんとした答えは全然わからないけれど、たくさんの物語の中に一つくらいはアセクの人が寂しくて寂しくて悶えているような物語があったらいいなーって思う。そこに希望はないかもしれないけど、それはきっと自分の物語だなって思うだろうな。
 
その他に手にとった作品、高島鈴さんの『布団の中から蜂起せよ』はもともと読まなきゃーって思っていた作品だけど、帯がもう自分に語り掛けてくれているじゃんと思って。冒頭の文章がありがたい。辛いときに、特にフェミニズムの文章を読むのがしんどくて高島さんの文章も読めていないけれど、タイトルにもなっている”布団の中から蜂起せよ”といくつかの文章を読んで慰められた。自分が布団の中で何もできないとき、布団の中で何もできない人の文章を読めるのありがたいよー。あと、友人が読んでるって教えてくれたオードリーの若林のnoteを購読したり(若林のこと全然知らなかったけど、書いてる本も気になる。読みたい)、竹村和子さんの『愛について』をうんうん唸りながら2章くらいまで読み進めたり(靄のかかっていた目の前が晴れていくような素晴らしい文章!頑張って読み進めたい)、ずっと気になっていた『失踪の社会学』の中森さんの鼎談などもちらっと読んでいた(中森さんの新刊は『「死にたい」とつぶやく』すごいストレート、気になる。)。
読んでいたものたちの中で、特に印象的だったのは自死を肯定することについてかかれた文章だった。宮地さんの『傷を愛せるか』と高島さんの『布団の中から蜂起せよ』、どちらも映画の中での自死に触れていた。自分の死生観に触れることになるので、書きたいと思えないけれどただ心に残っているとだけ書き記しておく。やっぱり『失踪の社会学』を読むべきなのかもしれない...
 
なんか寂しさを感じている状態が私にとっての安全基地になるといいのかもしれない、きっとそれでいい気がする。